ー母との記憶の中で気づいたことー
こんにちは、澤えい子です。
私は長い間、
「母に愛されてない」と怒りを感じて距離をとっていました。
そんな過去を振り返ってみた話を書きました。
よかったらお読みください。

ここ数年、田舎の実家へ帰ると、母の買い物に付き合うのが恒例になっています。
先日も、ドライブがてら隣の県まで出かけ、母に似合うブラウスを選び、一緒にラーメンを食べ、帰宅後は畑に行き、穏やかで楽しい時間を過ごしました。
夕食の席で、ふと、夫と長男が同時期に入院していた頃の話になりました。
夫ががんで入院中。
重度の心身障害のある長男も呼吸困難で救急搬送され、別の病院へ入院してしまいました。
私は昼は夫の病院へ、夜は長男の病院へ戻る生活を一か月近く続けていました。
本当に必死で、心身ともに限界だったときの話です。
そのとき、母がぽつりと言いました。
「あんたのところは、大変な時でも何も言わんかったなあ」
母はきっと、「心配をかけまいとしていたんだね」と言いたかったのだと思います。
でも私は違う気持ちを抱えていました。
「お母さんは長男のことを嫌っていたとは思わない。でも大切にはしてくれなかった。私はそんなお母さんをずっと恨んでいた。だから、どんなに辛くても、お母さんになんか知らせてやるもんかと思っていた。」
そう話した時、私はふと気づいたのです。
『知らせてなんかやるもんか』と思ったということは、私が苦しんでいることを知れば、母は心配し、助けたいと思うはずだと分かっていたということではないかと。
そして、娘の一大事を知らされず、力になる機会さえ与えられないことが、母にとって辛いことだとも分かっていたということです。
確かに私はあの頃、「母になんか助けてもらいたくない」と強く思っていました。
けれど、それは裏を返せば、母が私を愛していることを、どこかで知っていたということなのかもしれません。
もし愛されていると思っていなかったら、
「あなたに私を愛させてなんかやるもんか」
そんな形で母を拒絶することはできないはずです。
その時、私は初めて、
「私、母に愛されていたんだ」
と思いました。
頭では分かっていたつもりでした。
母にはたくさんのことをしてもらいましたし、自分も親になって、親というものは子どもの幸せを願う存在だということも知っています。
それでも私は、母は私の長男のことを愛していないと感じていました。

長男は重度の心身障害を抱えていました。
生後一か月で異常が見つかり、大学病院で長い検査と治療を受けましたが、原因は分かりませんでした。
そして七年前に他界しました。
私は長い間、長男の障害は自分のせいだと自分を責め続けていました。
だからこそ、母が長男を他の孫たちと同じようにかわいがっていないように見えるたび、深く傷ついていました。
それはまるで、自分でつけた心の傷をさらにえぐられるような感覚だったのです。
私にとって長男は、かけがえのない大切な息子でした。
その長男を大切にしてもらえないことは、私自身を大切にしてもらえないことと同じに感じられました。
だから私は母を責めました。
もっと気にかけてほしかった。
もっとかわいがってほしかった。
障害があるからこそ、なおさら愛してほしいと思っていました。
けれど今振り返ると、母には母なりの愛し方があったのかもしれません。
ただ、その愛し方は、私が求めていた愛し方とは違っていました。
私は母から差し出されていた愛を、長い間受け取ることができなかったのです。
母が愛してくれていなかったのではなく、私はその愛を受け取れずにいた。
そんなことに気づいた時、長年抱えていた何かが、少しだけほどけていくような気がしました。
『愛されていなかったと思っていたけれど②』に続きます。



