17年越しのラブレター ①

こんにちは、カウンセリングサービスの澤えい子です。

ブログにお越しくださり、ありがとうございます。

心理学を学びながら自分自身の心について考え、私自身もカウンセラーにお世話になってきました。

今回は、お世話になったカウンセラーからの提案をやってみたことで、私自身が大切なことに気づいたときのことをお話しさせていただきます。

よかったらお読みくださいね。

私の夫は17年前に他界しています。

どんな人だったの?と聞かれたら、自分からは何もしてくれない人だったと答えていました。

浮気をしたとか、経済的に困らせたわけでもありません。

それなのに、夫を思い出すたびに心のどこかがもやもやしていました。

  

その正体は、「私は愛されていなかった」という思いでした。

 

私は3人の子どもに恵まれましたが、長男は重度の心身障がいを抱えていました。

でも、長男に障がいがあるからといって不幸だと思いたくなくて、家族で出かけたり楽しい思い出を作ったりして幸せを感じたいと思っていましたし、夫もそうであって欲しいと思っていました。

けれど夫は、自分から家族をどこかへ連れて行こうとする人ではありませんでした。

私が提案すれば付き合ってくれる。

でも自分から「行こう」と言うことはない。

私はそれを、「私たちと一緒にいたいと思っていない」「愛されていない」と受け取っていました。

そんな思いをお世話になっているカウンセラーさんに話すと、

「夫さんにラブレター書いてみたら」

と言われたのです。

 

そう言われた瞬間、胸が苦しくなりました。

思考と違って感情は正直です。

何かがあるから胸が苦しくなったのです。

怖かったのです。

 

夫に愛されてなかったと思うことで、私が夫を愛してこなかったのは夫のせいなんだと言って、

自分を守っていたのかもしれません。

もしそれが間違っていたら、もう夫には謝ることもできない。

それが怖かったのです。

それでも、ここになにかがあると気づいてしまったからには、もう見ないフリはできません。

カウンセラーさんに言われたように、夫の写真を目の前に置いて、出会った頃のことから振り返ってみました。

書いては破り、また書いては破り。

そんなふうにしているうちに、ある1つの出来事を思い出しました。

 

障がいのある長男を校区の小学校に通わせたかったのですが、養護学級の担任教師に断られて、肢体不自由児学級のある市内の集中校に通っていました。

 

6年生になると、中学を決めなくてはなりません。

肢体不自由児学級のある集中校にするのか、養護学校の中学部にするのか、長男の気持ちを聞くことが出来ないので、親が決めなくてはならないのですが、なかなか決めることができませんでした。

決められないのは、長男と一緒に中学に関わることになる私の怖れが大きく影響してることは自分でも分かっていました。

 

夫に相談すると、

「えい子さんがいい方でいいんちゃう」

と何も考えていないような返事。

私だけに責任を押し付けないでよ!と思っていると、

「えい子さんが楽な方でいいんちゃう」

と言い直したのです。

 

この時、なんとなく、夫は私の気持ちを分かってくれているのかもしれないと感じたことを思い出したのです。

 

長男が生まれてからずっと、同じ年ごろのお子さんが外で走り回っているのをベランダで見ては辛い気持ちになっていたのを。

集中校の入学式で、バギー(車椅子のようなものです)に乗った長男が普通学級の同級生達と一緒に入場してきたとき、その姿が嬉しくて涙を流しながらも、心のどこかでは静かな絶望を感じていたことを。

 

そんな私の悲しみと、悲しいと思ってはいけないという葛藤で苦しんでいたことを、夫はいつも見てくれていたのかもしれないと思ったのです。

夫はいつも見てくれていた、そして私が苦しまないことを願ってくれていた。

そう思った瞬間、今まで理解できなかった夫の言動が、少しずつつながり始めました。

次回に続きます。

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