愛されていなかったと思っていたけれど ②

ー母との記憶の中で気づいたことー

こんにちは、澤えい子です。

ブログにお越しくださり、ありがとうございます。

今回は

『愛されていなかったと思っていたけれど①』の続きです。

よかったらお読みください。

40年前、私は母が持ってきたお見合いで結婚しました。

母は長男のことをあからさまに悪く言うことはありませんでしたが、夫についてはいつも批判的でした。

何かあるたびに、

「お母さんは断ってもいいって言ったのに、あんたが結婚するって言ったから」

と、今さらどうにもならないことを持ち出しては私を責めることがありました。

心理学では、人は自分を責め続け、「もうこれ以上自分を責められない」と感じたとき、その苦しさから相手を責めてしまうことがあると言われています。

もしそうだとしたら、母は夫とのお見合いを勧めた自分自身を責めていたのかもしれません。

「私がお見合いを勧めたばかりに、娘はこんな苦労をすることになった。」

「断ってくれていたら、違う人生だったかもしれないのに。」

そんな思いを抱えていたのかもしれないと、今では感じています。

長男が生後一か月で大学病院に入院していた頃、見舞いに来た母は私にこう言いました。

「この子は私が育てるから、あんたは大阪に帰りなさい。」

あまりにも現実離れした言葉に、その時の私は

「何言ってるの?」

と返すことしかできませんでした。

けれど今振り返ると、あの言葉は、母がすべてを自分の責任のように感じていたからこそ出てきた言葉だったのかもしれないと思うのです。

長男に重度の心身障害が残ると知らされた時、心に深い傷を負ったのは私だけではなく、母も同じだったのかもしれない。

そう思うと、私は母の気持ちを理解しようともしていなかったのではないかと、申し訳ない気持ちになります。

私は長い間、不思議でした。

あの時は「私が育てる」とまで言ってくれた母なのに、なぜ長男を私が望むように愛してくれないのだろう、と。

だから私は母のことを、

「冷たい人」

「優秀な人しか認めない人」

そんなふうに思うことで、自分を納得させていました。

けれど今は少し違う見方をしています。

夫を早くに亡くした私が、一人で長男をお風呂に入れ、ご飯を食べさせ、おむつを替えている姿を見るたびに、母自身の傷もまた痛んでいたのかもしれません。

娘の苦労を目の当たりにするたびに、どうしようもない悲しみや罪悪感に襲われていたのかもしれません。

そして、その苦しさゆえに、長男の障害という現実を丸ごと受け止めることができなかったのかもしれません。

もしそうだったのだとしたら、

「ああしてくれない」

「こうしてくれない」

と不満ばかりをぶつけ、傷ついたと感じるたびに距離を取っていた私は、母を辛い気持ちにさせていたのかもしれません。

お母さん、ごめんなさい。

でも、あの頃の私はそうするしかありませんでした。

私は長男と生きていくために、自分自身を守らなければならなかったのです。

自分でつけた心の傷を、これ以上痛めつけないために。

私が望む形で愛を向けてくれない人を敵だと思い、壁を作ることでしか前を向けなかったのです。

母は、孫である長男よりも、娘である私のことがかわいかったのかもしれません。

長男がいることで私が苦労している姿を見るのが辛かったのかもしれません。

けれど私にとって、長男のためにする苦労そのものは苦しみではありませんでした。

私にとって本当に辛かったのは、

「母は長男を受け入れてくれていない」

「母は長男を愛してくれていない」

そう感じることでした。

その痛みこそが、私の心を深く傷つけていたのだと思います。

『愛されていなかったと思っていたけれど③』に続きます。

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