ー母との記憶の中で気づいたことー
こんにちは、澤えい子です。
今回は、
『愛されていなかったと思っていたけれど②』の続きです。
よかったらお読みくださいね。

ある時、母が「ほんこ(いい子)の卵」という言葉を口にしました。
子どもは「ほんこの卵だよ」と言って育てるのがいい、そんな話をしていたときのことです。
私はふと思って聞きました。
「長男は?」
すると母は、
「長男ちゃんは『ほんこの卵』って言ってもなあ」
と言ったのです。
その言葉がどういう意味だったのかは分かりません。
言葉を理解することが難しい長男だからそう言ったのか。
それとも、自分のことを自分でできない長男は「いい子」とは違うと思っていたのか。
本当のところは分かりません。
でも、その言葉を聞いて、私はひとつのことに気づきました。
母は持っていなかったんだ、と。
重度の心身障害を抱えた長男が持っている偉大さ。
長男と生きることで私が強くなれたこと。
長男がいたからこそ出会えた人たちや支えられてきた日々。
そんなものを感じ取る感性を、母は持っていなかったのです。
母は山深い田舎で七人きょうだいの五番目として生まれました。
幼い頃に父親を亡くし、戦中・戦後の厳しい時代を生き、お見合いで結婚し、厳しい姑(私の祖母ですが)に辛くあたられてもいたようです。
役に立たなければ認められない。
そんな価値観の中で生きてきた部分もあったのかもしれません。
最近、母はよくこう言います。
「なんで私だけ勉強ができなかったんかなあ」
母の兄や姉、弟たちはそれぞれ活躍していました。
そのことを誇らしく思う一方で、自分には何もないと感じていたのかもしれません。
母にとっての幸せとは、
安定した仕事があること。
お金に困らないこと。
子どもが元気で優秀であること。
親孝行してくれること。
そういうものだったのでしょう。
だから、子どもに重度の心身障害があるという現実は、母の考える幸せの形にはなかったのかもしれません。
けれど私は、長男と生きる中で別の幸せを知りました。
食べることも、移動することも、トイレに行くことも、すべてに介助が必要だった長男。
それでも私は長男のおかげでたくさんの人と出会い、多くの支えを受けながら生きてくることができました。
何も語らない長男の澄んだ瞳に見つめられると、自分の弱さや狡さを見透かされているような気持ちになることもありました。
そして、
「もっと強くなろう」
「この子を守ろう」
そう思わせてもらっていました。
夫が亡くなっても。
次男が結婚して家を出ても。
長女が海外へ行っても。
私が独りぼっちにならなかったのは、長男がいつもそばにいてくれたからです。
私は長男と共に生きることで、幸せには人それぞれの形があることを学びました。

人生には受け入れがたい出来事があります。
けれど、一見不幸に思える出来事も、見方を変えれば自分を見つめ直す機会になることがあります。
向き合うことで、それまで見えなかった景色が見えてくることもあります。
母は、そういう見方をする機会を持てなかったのかもしれません。
だから長男の障害を受け入れ、その存在を丸ごと愛することが難しかったのかもしれません。
愛したくなかったのではなく、そのための力や価値観を持つ機会がなかったのです。
そう思えた時、私は初めて、
「仕方なかったんだな」
と思えました。
長男が歩くための筋力やバランス感覚を持っていなかったように、
母もまた、どんな現実も見方を変えながら受け入れ、愛していく力を十分には持てなかったのでしょう。
それは母が悪いからではなく、母自身もまた、その力を受け取ることができない環境で育ったからなのだと思います。
そのことが腑に落ちた時、不思議と母を責める気持ちが消えていきました。
親よりも子どもが、子どもよりも孫が後に生まれてきます。
後から生まれてきた者の方が、多くのことを知っているのは自然なことです。
私たちはつい、
「あれをしてほしかった」
「どうして与えてくれなかったの」
と思ってしまいます。
でも、その人にはその人の事情があって、持つことができなかったものもあるのでしょう。
持っていないものは与えられません。
そして、完璧な人間などどこにもいません。
私は長い間、
「母は長男を丸ごと受け入れて愛してくれなかった」
と母を責めていました。
けれど今振り返ると、
そんな母を丸ごと受け入れて愛してこなかったのは、私の方だったのかもしれません。
やっと、そのことに気づいた今、文句ではなく感謝を伝えていきたいと思っています。
これから、少しずつでも。


